
ものすごく急な石段です

170段あるとか、
ヒノキが林立して清々しく、崩れかけた石段に古寺の趣を感じます。
ここは、36番札所「青龍寺」。
なんとなく気になって、高知市内へ行った帰りに立ち寄ってみました

唐から戻った弘法大師が、密教の師である恵果阿闍梨の恩に報いたいと、
二人が運命的に出会った唐(長安)の青龍寺に倣って開いたとされています。

お手水にも青龍さんがいます


本尊の不動明王は、波切り不動尊と言われ、大師が唐から帰国する時に嵐にあって

絶体絶命の時に、不動明王に助けられたという伝承から、その時の不動明王の姿を
思い出して、弘法大師が自ら彫ったと言われています。
残念ながら、「絶対秘仏」になっていて、拝観することはできません


境内には、恵果阿闍梨をまつった「恵果堂」なるものがありました。
四国霊場には、弘法大師をまつった「大師堂」は必ずありますが、「恵果堂」というのは
おそらく、この青龍寺だけなのではないでしょうか。
遣唐船に乗って、唐の都長安に着いた空海は、密教の高僧である恵果阿闍梨の噂を聞いて、
「青龍寺」に会いに行きました。
すると、恵果阿闍梨は「我、汝の来るを知り、待つこと久し。今日相見えて大いに好し」と
大変喜んだそうです。
恵果阿闍梨は、ずいぶん前から空海という優れた弟子が訪ねてくることを
天啓によってわかっていたのです

そして千人を超える弟子達をおいて、異国から来た空海を後継者として
真言密教のすべての教えを伝授し、それから間もなく息をひきとったということです。
こうしてインドで生まれた真言密教は中国に伝わり、
真言宗八祖となった弘法大師空海によって日本に伝えられたのです。
すごく奇跡的でドラマティックな話ですね~

私が、歴史上の人物で一番会ってみたいのが、弘法大師。
だから、お遍路に惹かれるのかもしれません

余談ですが、引退した朝青龍の出身校の「明徳義塾」はこの近くにあり、
朝青龍という名前は、この「青龍寺」にちなんでつけられたそうです。
朝は、あの面白い顔をした親方の現役時代の「朝潮」からもらったんでしょうね

二人共やんちゃだけど、憎めない感じでしたけどね~
スポンサーサイト